さんさか ネルドリップ珈琲と本と

人間だもの。

SNSの普及と発達は本音主義の全盛という人がいるのに対し、全く逆で本音は言わずに
ポジティブなことや善の部分しか出せなくなっているという意見とがある。
私は後者だと思う。
批評がどんどん攻撃的になり、相手の非のみをあげつらい、わずかな言葉で相手を打ち負かすような風潮になっている。
性善説ではなく性悪説に傾いていて、悪いところに焦点を合わせて容赦なく攻撃するのが正義みたいになっている。
不寛容な時代。
内田樹さんが、受信感度のいい知性がなくなって、「オレが、オレが」の発信型の知性ばかりになった
ということを言っていたがピッタリ当てはまる。
 
不寛容の象徴的な出来事が最近ではペヤングの異物混入と、東京駅の記念Suica発売だったと思う。
ペヤング側の不手際に対しての罰があまりにも大きすぎてバランスがとれていないと思う。
購入者は直接メーカーに苦情を訴えたのではなく、先にネットに流されてしまってはもうどうしようもない。
少なくとも苦情や文句は、メーカーや販売店にまず伝えるという仁義だてがあるべきだと思う。
Suicaの不手際もそうだったが、誰もが過ちを犯す存在であることを自覚しておくほうが寛容だと思う。
 
価格やサービス競争の末、顧客側の権益と立場があまりにも強くなってしまったそうだ。
日本では政治的な失策や社会的な不公平より、売り手の不手際のほうが怒りを喚起するケースが多いという。
一票の格差を問題視する正義より、異物混入に憤る消費者意識のほうがずっと強烈で共感を得やすい。
たしかにマクドナルドの商品を信頼できなくなれば、買わないことで消費者として意思表示ができるが
税金の使われ方に不満があるからといって、納税したくないというのは無理な話。
だからまずできることといえば、きちんと選挙に行かなければならない。
自分でも思いもよらない、まともな話に着地してしまった。