さんさか ネルドリップ珈琲と本と

colorless

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
今年も英ブックメーカーの前評判でトップだったそうだが、村上春樹さんがノーベル文学賞を逃したというニュースをみて、少し前にようやく「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ。
昨年の4月の新刊として、前作「1Q84」同様に発売前から社会現象みたいな感じに違和感を覚え、ちょうどその頃
BBC制作のカンバーバッチ主演「シャーロック」にはまっていたこともあり、これまでずっと読まずにいた。
発売後1週間で書店で買い求めたが、初版かと思いきやすでに3刷というのは異常でしょう。
出版後の京都大学での講演も非公開でインタビューなどはいっさいなし。
会場入りする春樹さんの姿だけがニュース映像で何度も流されて、ニュースや広告戦略であおられる感じにも
なんだかがっかりした。
 
あまり小説を読まなくっていて、春樹さんの小説なんて久しぶりに読んだので素直に面白かった。
村上作品は気軽に手にとっていつ読んでも面白いというような小説ではないと思う。
主人公「僕」に自分が入り込んでしまうので、精神的にも体力的にも健康じゃないと読み切れない感じがする。
大まかな内容は、20歳にさしかかる頃、高校時代の親友に一方的に絶縁され、心の奥底にその傷をしまい込んだ
ままでいた36歳の男が、過去に負った圧倒的な喪失感と向き合う話。
日本国内では出版時のサイン会はもちろんのこと、全くイベント事などに姿をみせない春樹さんだが
海外ではときどき現れる機会がある。
8月に英エディンバラでの国際ブックフェスティバルには登場したようで
「自分も仲間外れの経験があり、傷ついた気持ちは長い間残る。」と執筆の理由を語っていたそうだ。
 
ちょうど「スプートニクの恋人」と文量も近く、なんとくなくだが全体の構成というか、イメージが似ているような感じがした。
ほとんどの村上作品は、主人公=語り手である「僕」という一人称で書かれていることが特徴なのだけれど
スプートニク同様、本作も三人称で書かれている。
これまでと違うように感じたのは、場所がどこそこの都市だったり、国産高級車のブランド名など
具体的な情報がはっきり出てくることだったり、いちいち括弧書き“(  )”を使うのが不自然に多かった。
途中、レクサスが欲しい別人が春樹さん風に書いたんじゃないかと、勘ぐるような感じで読み進めた。
 
偶然、25年ぶりの中学の同窓会に出席した後で、その頃の感傷に浸ったままこの本を読んだので、結構打ちのめされた。
久々に小説を読んだこともあり、物語の中に完全に連れて行かれたような感覚で、あちら側からこちら側に戻ってくるのに大変だった。
広告批評島森路子さんが、「村上作品は描かれる人たちの孤独が前提とされているというか、登場人物がみな
一人で立っている感じがある。」と語っていたけれど、その孤独に共感する人が多いのが、世界中で読まれてい
る大きな理由の一つだとよくいわれている。
今年4月に出た短編集「女のいない男たち」もたて続けに読んでみて思い出した。
女のいない男たち
4年前の映画「ノルウェイの森」で主演した松山ケンイチが「原作を読んでみるとエロ本みたいだった」
と話していたけど、「多崎つくる〜」も短編集もそういう描写が多くなっている気がした。