さんさか ネルドリップ珈琲と本と

“犠牲を払った分だけ人を満足させる事ができる” アントニオ・リヴェラーノ

シェフを「つづける」ということ

定期購読で届いた月刊誌の封を開けずに5ヶ月分、観ようと思い録画した映画が観ないまま100本を越えたあたりで
どうにも時間を作るのが下手だなぁと途方に暮れている。
このまま頭が空っぽの状態ではダメだという焦りと気分転換がしたくて、近頃は御所を歩いたり
ベンチに腰掛けての読書が大変心地良い。
それなりに珈琲を淹れるのは得意なほうなので、ポットに詰めて持っていったりもしている。
これまで全く自然に関心がなかったのに、御所の森の中に入り土を踏むのが楽しみで仕方がない
のは、やはり年齢のせいだろうか。
 
なかなか読み進まなかった“シェフを「つづける」ということ”をようやく読み終えた。
イタリアで修行した料理人たちのその後の「10年」を追いかけている。
帰国後、日本で三つ星を獲得したシェフがいれば、海外で腕を振るう人がいたり、中には車いすシェフとなった人もいる。
当たり前だけど、共通しているのはみんな必死に頑張っている熱い人たちばかり。
頑張りすぎて体をこわし、倒れた料理人も珍しくなく登場する。
ちょうど自分と同世代の人たちばかり。
体をこわさない程度がいいなぁ。
 
自分がそういう年齢になったからか、厄年っていうのはよくできた巡り合わせだと感じる。
まわりにそういう年齢の人がいれば「厄祓い行きました?行きます?」と尋ねてみると
思いのほか「行ってない。行くつもりない。そんなの知らない。」という程度。
初詣だのパワースポットとかいう割には無関心なんだなぁと感じる。
厄祓いを数年前に済ませた年上の方に「自分の体の心配事だけじゃなく、ちょうど
親が病気になったりする年齢だから、本厄だけでもお祓いに行くべき」と教わった。
親や昔から言われていることは聞いておくべきだと思う。
 
昨年のアカデミー賞助演男優賞でオスカーを手にしたJ.K.シモンズが、受賞スピーチで
「幸運にもまだ親が元気に生きているのなら、メールじゃなくて電話をして話をしてください。」と言っていたのがよかった。
幸運にも機械オンチの我が母親の携帯電話は、メールの機能を省いて電話しかできないようにしてある。