さんさか ネルドリップ珈琲と本と

足るを知る

成長から成熟へ -- さよなら経済大国 (集英社新書)
広告批評」の創刊編集長で、2013年に亡くなられた天野祐吉さんの最後のメッセージ。
 
計画的廃品化
1960年に登場した言葉で、20世紀のマーケティング手法のキーワード。
ポイボスカルテル
1920年代、電球の寿命は技術進歩ですでに2500時間くらいに延びていたが
買い替えを促し電球の市場を支配しようとした業界が、寿命の上限を1000時間に設定したカルテル
 
店内の電球のほとんどはクリプトン球で設計寿命が1000時間(2000時間のものは少し高価)
だから5ヶ月もすれば切れてしまう。
一灯だけ使っているエジソン球は丸4年をゆうに過ぎてようやく寿命がきた。
価格は4倍ほどするけど費用対効果は悪くない。
 
グローバル化とは
地球レベルの市場の単一化で、アメリカ式の大量生産・大量消費の市場を世界中に広げることだと。
たしか、現ローマ法王は「もっとも弱い者にもっとも大きな犠牲を強いる切り捨ての文化」だと言っていた。
経済成長を持続させるためには、大量生産・大量消費を止めるわけにはいかない。
が、自国だけではこの仕組みに限界がとっくにきていて、さまざまな歪みがあらわれている。
グローバリズムはその限界や歪みをこわすために、地球上を一つの市場にしちゃえという事のようだ。
それが行き詰ったらどうするのだろう?
 
10年ほど前に読んだ小説に、同じようなことが書いてあってぼんやりと書き写していた。
“本当に必要なものはそれほどないが、それでは肥大した世界はもう回らない。
世界は不必要なもので溢れ返っていて、不必要なものは人を醜くする。...
供給が増えすぎてバランスがとれないから仕方なく価値をつける。
そうやってありもしない需要を無理矢理つくり出す。
「衣食住」だけで満足されてしまっては、この肥大した世界はもう回らない。”
 
北の国から」で田中邦衛さん演じる父ゴローが子供たちに、電気のない廃屋で
「暗くなれば寝ればいいんだ」と言わせた倉本聰さんが、震災後のエネルギー問題は
“供給論”ばかりで、なぜ“需要を減らす”方向に向かわないのかと。
 
新しいビジネスを展開する経営者が
「日本国内だけにとどまらず、アジアはもとより世界中が市場になる可能性を...」
みたいなことを熱く語っていたりする。
拡大の後は停滞して縮小、衰退しておしまい。
いやそうじゃないのかも。
汚れて住みづらく使いものにならなくなった地球を捨てて、人類は宇宙へと向かいつつあるのかもしれない。