さんさか ネルドリップ珈琲と本と

珈琲教室のご案内、21日(日曜)は12時開店となります。

急なお知らせですが、5月21日(日曜)に珈琲教室を開きます。
勝手ながら21日(日曜)の営業は、12時開店予定です。
 
今回はペーパードリップの入門編です。
道具を揃えたばかりの方が参加なさいます。
毎日淹れている珈琲を、もっと美味しく飲みたい方。
美味しい珈琲への近道に、そのお手伝いができればと考えております。
 
【日 時】 5月21日(日曜) 9:00〜11:00
定 員】 3名様 (ご予約のみ。 お一人でもお気軽にご参加ください。)【参加費】 5,000円
【お申込】 店頭、お電話、メールにて。 お名前、ご連絡先、人数をお伝えください。
    ■電話 075-241-2710 
    ■メール
【持ち物】ドリップポット、ドリッパー、フィルター、サーバー、手や道具を拭くタオル・布巾など。
    ■(できれば)普段使い慣れた道具をお持ちください。
     お持ちの道具によってお伝えできるテクニックも、それぞれ違ってくるかと思います。
     こちらで用意する道具をお使いいただけますので、手ぶらでも結構です。
    ●飲み慣れた珈琲豆をお持ちくだされば、こちらで淹れてみて違いを感じるのも良いかと。
 
今回もカリタ式の台形フィルターを使っての概論と実践と考えています。
さんさかが考える美味しい珈琲は、円錐型のペーパードリップでは淹れることができません。
構造上、絶対にです。
残念ながら流行には抗えないようで、新たに道具を揃えるほとんどの方が円錐型を購入してしまいます。
実際に両方のドリッパーで淹れて飲み比べもしますので一目瞭然です。
様々な教本にいろんな事が書かれていて、どれが正解かお悩みの方、
概論と実践の両方で疑問に思っていることを解決できる機会になると思います。
蒸らしの時間、湯温、注ぐタイミングやスピードなど巷で耳にするあれやこれや。
例えば、湯を注いでムクムクと膨らむことはただの現象にすぎません。
よく言われる状態が良く美味しい珈琲豆の証ということはなく、
膨らむことが美味しく淹れるコツなんてことも全くありません。
一般的に良いとされていることが役に立たないことの多い、普通じゃない珈琲教室です。

平日と休日で価格が変わるようになります。

お昼にご用意しております、カレーにお飲物をつけた際のセット料金を
平日は据え置き、まずは土日祝に限り適正な価格に値上げすることにします。
カレーとお飲物 プラス ケーキ、プリンのご注文の際には値引きをいたします。
カレー単品の価格に変更はありません。
4月29日(土曜)から適用します。 
かねてから飲食店をされているお客様や、有識者と思われる方、察しが良く知性のあるお客様からは
ネルドッリプをつけて「この値段はおかしい」、「安すぎる」などの有り難いご指摘をいただいておりました。
様々なお客様に対応し、一人で営業するお店としての機能を維持するための値上げとご理解ください。
カレーそのものも変更しましたので、そのような時期かと考えます。
様子を見て平日の15時以降でも採用しようかと企てています。
お店としてはその時間までにカレーが売り切れることを願います。
 
さんさか店主

エルマガでいうところの新展開

新展開というほどでもないですが、新しいメニューにキーマカレーを追加しました。
いつものチキンカレーを作るのにあまりにも時間がかかるので、土曜日曜に作れない状態で
売り切れた週明けの月曜に、仕込みのために営業を休んでしまうのもよくないので
何とかもう少し速くできるものをという思いからの次の一手です。
とはいうものの、キーマもチキンカレー同様、タマネギを2〜3時間かけてしっかり炒めるところまでは
同じで、煮込みの時間がいくらか短くなるだけで、そんな簡単に楽して美味しいものはできないわけで。
そんな事情もあり、「土曜日曜限定です。」みたいに決まりごとにしてしまうと
それに縛られて身動きが取れなくなるのも困るので、チキンカレーの用意が間に合わないような
ときにお作りするメニューというくらいのつもりですので、カレーが2種類ある日もあったり
チキンかキーマのどちらかしかなかったりというようなスタイルで始めてまいります。
みなさまからの評判によっては定番になるとか、メインの座が入れ替わるやもしれませんが。
早速今日の日曜からお出ししています。
明日月曜はキーマもチキンも両方ご用意がありますのでどうぞ。
(あくまでも珈琲屋ですのでカレー屋に軸足を置こうとしているわけではありません。)

珈琲の“蒸らし”って⭕⭕みたいなもの

毎日美味しい珈琲を飲みたいと願い、
毎日美味しく淹れられるようにあれやこれやと試していても
「常に満足」とはいかないもので、やっと上手に淹れられるようになったと思ったら
また首をかしげ始めて試行錯誤の繰り返し。
今年に入ってからふとしたきっかけで、「蒸らし」を大胆に変えてみて今の珈琲がしっくりきている。
最初に珈琲の粉に湯を注ぎ待つ時間を「蒸らし」と呼ぶが、あえてしないお店もあるし
専用の蓋をして5分くらい蒸らすなんてことをしていたりもするしさまざま。
一般的な教本には20〜30秒とか書いているのだろうか。
 
滅多に行かないけど、よその店で他の人のドリップを見るのは大変興味深いものだけれども
大抵がっかりさせられる。
一様に速くて、蒸らし時間を淹れても1分〜1分半足らずで抽出が終わってしまう。
だから「あんな風に淹れるとやはりこんな珈琲にしかならないのか!」と
ポジティブに勉強できたことにでもしなきゃ仕方がない。
 
よく言われる「蒸らしで味が決まる」は正解だと断言できる。(もちろん同じ焙煎の珈琲豆という条件で)
ほんの少し蒸らす時間とか湯の量を微調整するだけで大きく変わる。
「なんで“蒸らし”をするんですか?」なんて尋ねるような上級者はなかなかいないのだけれど
試しに自分の行きつけの珈琲屋さんで聞いてみると面白いかも。
十中八九、嫌な顔されるでしょうけど、正解を知っている人のほうが少ない気がするなぁ。
肝となる大事なことだから簡単には教えるわけにはいかないので、けむに巻くようなつもりで
「ヴィンテージワインをデキャンタージュする理屈とよく似ている」と答えている。
適当なでまかせではなく合っているものの、ワインに例えるあたりが格好つけてるみたいで
われながら悪趣味に思っていて、もっとシンプルな例えはないものかと。
 
それで店の前を行きかう職人さんを見て思いついたが「ペンキ屋さん」。
職人さんに怒られるかもしれないけど、ペンキを塗ること自体は誰にだってできるでしょ。
でも趣味の日曜大工と、職人さんのプロの仕事とは訳が違う。
珈琲なんてお湯を注げばいいのがだからもっと簡単なわけで。
「蒸らし」の大切さをペンキ屋さんで言うのなら、建物の外壁を塗る際の足場を組む作業じゃないかと。
落っこちるようないい加減な足場でもだめだし、高さが足りないなんてありえないし。
ユニック車(関電のCMで佐々木蔵之介が高所作業でカゴに入って載っている作業車)だと横の動きに対応できないし。
いざ塗るのだって、刷毛なのかローラーか、スプレー式だってあるだろうし。
ほら珈琲だっていろんな抽出方法があるので似てません?
自己満足すっきりしました。

〇〇のような本

通ってる美容室とは12、3年のお付き合いになり、店の4代目とも親しくさせてもらっている。
たとえる技術
カラーやパーマでボロボロに傷んだ髪を、本来のいい状態の髪質に戻すことにも力を入れているので
「傷んだ髪にトリートメント」みたいなその場しのぎの対応だけでは済まさない。
足し算よりむしろ引き算が好ましく、良い意味で普通ではない美容室である。
4代目の彼との話で面白かったのが、初めて訪れるお客のパーマやカラーを繰り返し
「よその美容室で傷んでどうしようもない髪質」というのを
「タンスの引き出しに無理矢理に服を押し込んだ状態でやって来る」と例えていた。
面白く話したり、面白い文章を書いている人は、そんな「たとえ」を上手く織り交ぜ
使いこなしているのですよという本。
 
旅先で見たもの、起こったこと、食べたものを時系列そのままに話すような人は
どうしようもなくつまらないと思う。
笑いの世界で大喜利や謎かけがズバリそうだし、テレビのバラエティ番組でも
「○○みたいやないか!」とフットの後藤さんみたいにツッコんでる人が生き残っていくのも当然だろう。
結局のところ、そういう例えや比喩の集合体が小説として本になり
また脚本として俳優がしゃべり映像作品となっていくわけで、どうしたって本を読んだり
映画を観て刺激を受けることで、そういう「たとえ」をストックしておくことが大事になる。
いろんな場所に行ったり、美味しいもの、不味いものを食べたり、自分で体験することは
もちろん大事だけど、時間とお金には限りがあるもの。
 
インスタにあげることが生活の軸になっているというより、完全に縛られてる人は
誰かと会って話すときでさえ、スマホの画像を介してしか話せずにいる気の毒な人を
少し前からよく見るようになった。
行った店、食べたものを画像で見せられたらある程度精確には伝わるかもしれないが
もはや直接会う必要がないくらいで、これほどつまらないコミュニケーションはないと思う。
だからこの先、こういう「たとえる技術」みたいなのは多くの人の場合
衰えていくのだろうと思うわけで、この退化も人類が選択した進化なので仕方がない。
 
小説は読んだことはないけど、直木賞作家、浅田次郎さんが小説家としての
「臨場感の欠如」についてエッセイに書かれていたのが非常に興味深い。
“ストーリーや小説の完成度とは別に、文章の醸し出す臨場感という点で
 新しい時代の作品は古典に見劣る。
 その「臨場感の欠如」の理由として、映像文化の作家に与えた影響を否定することはできまい。
 映画の黄金期に続きテレビの登場。その結果、小説家は頭の中に画面を置き
 そこに映し出される情景を文章に変換し始めた。”
生まれた頃からテレビがある我々ならもっと顕著にそういう傾向があるだろうし
スマホが生まれた瞬間からある現代っ子なんてこれからどうなっていくんだろうと思う。
 
単純に芥川受賞作より直木賞作品のほうが映像化には向いてると感じる。
直木賞は大衆文学を対象としているし、芥川賞は純文学作品なのでもちろん文章表現が最高であるべきで
映像化したものに劣るようでは文字で本にする意味さえ疑われる。
最近だと、宮部みゆき東野圭吾伊坂幸太郎などの著作を原作として映像化され
それなりにヒットもしているといえる。
極端に言ってしまえば、小説というより脚本としてすでに完成度が高いものが
作品となっているのかもしれない。
のぼうの城」は劇場公開時期があの震災と重なり、肝となる水攻めのシーンが津波
そのものであったため、劇場公開が大幅に遅れることとなった不運な映画。
原作は本屋大賞2位で直木賞候補にもなった同名小説だけど、著者、和田竜は小説としてではなく
先に脚本として書き上げていたというのは面白い話である。

インド深煎り

今年になって初めてお出しするようになったインドの深煎り。
しっかりと苦くて甘くて、こってりした焙煎です。
スマトラ産マンデリンと同じく珈琲豆が大粒で
舌にまとわりつくよう余韻も深煎り好みな共通点です。